品格を問われた熊本地震報道

今回の熊本地震の報道姿勢が大いに疑問を投げかけています。

報道各社、特にテレビ局の配慮に欠けた取材態度や行動が問題視されています。

そもそも今のマスコミ自体が

人の不幸をネタに生きているハイエナであることは

忘れてはなりません。

人が事件や災害に巻き込まれれば巻き込まれるほど彼らは経済的に潤い

幸せになります。

言うならば人の不幸こそ彼らの幸いであるのです。

世の中が平和では視聴率は稼げません。

また事件や災害の報道は製作コストがほとんどかかりません。

ドラマやバラエテイー、歌番などのように

出演料や原作料など要らないからです。

不幸な人々が無料の出演者であり自然が撮影セットです。

人がひどい目に遭えば遭う程、

被害がひどければひどいほど彼らはもうかる仕組みになっています。

その為にレポーターやカメラマンは血眼になって

より悲惨な現場を探し、無遠慮に当事者にインタビューを試みます。

悲しみの人の心に容赦のない質問を浴びせて

分かり切った今の気持ち感想を求めます。

辛いに決まっているのにその気持ちを推し量って

見守ることはまるでありません。

各社は競争に走り現場は

スクープの功名心に駆られています。

被災者への配慮から各テレビ局が協議して1社に絞って

代表として報道することはありません。

マスコミ各社は報道の義務や自由を盾に

人の感情は鑑みることはまるでありません。

我々、視聴者側の問題なのでしょうか?

より刺激を求める我々が行けないのか?

マスコミはそのニーズに応えているだけなのでしょうか?

マスコミ各社は自分たちこそ正義であり

公正で平等な社会を守る使者であるように自惚れています。

我々はそのような特権を与えたつもりはないはずです。

いつの間にか既得権益のようになっています。

その特権を利用してやりたい放題です。

報道の名のもとに全てが許されると思い込んでいます。

政府が報道に倫理や道徳を求めると

表現の自由の侵害だと騒ぎたてます。

こいつら一体何様なのでしょうか?

自分らは人の不幸の上で生きている社会の寄生虫だと自覚すべきです。

今や社会の中心であるような振る舞いです。

彼らは災害特番をたっぷり組んで

広告料でウハウハです。

殆ど経費なしで利益率は非常に高いことになります。

加えて盛んに募金の呼びかけを視聴者に訴えて

如何にも被災者の支援活動に熱心な姿勢を示しています。

多少は企業としても募金はしているようですが

結局は我々のお金でいい格好しているだけの気がします。

偽善の塊です。

もし報道こそ社会と市民の為に存在するとするならば

災害報道で得たスポンサー料は全て被災地に寄付したら如何でしょうか?

その場合は企業はこぞってスポンサーとして名乗りを上げるはずですし

高額のスポンサー料も払う筈です。

そうすれば被災者も報道されることで義援金がより多く手に入り、

マスコミも堂々と取材出来ます。

我々視聴者も納得して報道番組を見ることが出来ます。

各社スクープ合戦も構わないでしょう。

ハイエナと言われたくないなら

本当に社会の良心と自ら称したいならば

儲けは少しは吐き出したら如何でしょうか?

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