アメリカに広島長崎の原爆の仕返しを何故しない?

8月6日8月9日は広島長崎の原爆記念日です。

多くの人たちが原爆のない世界、戦争のない世界を訴えています。

その悲惨さは決して忘れてはならないことは当然であり

二度とあってはならない悲劇です。

しかし、核爆弾の廃絶の悲痛な声に逆行するように

核爆弾の開発国は次第に増えています。

ロシアは先日、ウクライナ情勢では核の使用も辞さない覚悟があったと

報じられています。

理念として当然であるの核の廃絶も

現実と照らし合わせた時にただ単なる絵空事のようであることは

否めません。

日本にも中国、北朝鮮の脅威に対して

核武装すべしとの声も多くあります。

それはそれで全く正論であるのでしょう。

この世の中は弱いものはいたぶられ、奪われるという現実は

昔から変わっていないのです。

動物でも同じです。

何か武器を持っていないものは

危険な反撃手段を持っていないものは

餌食になってしまうのは自然界の掟です。

それは子供のいじめでも如実に表れています。

体力のないもの、反撃する気力のないものは

選ばれて弄りに対象になるのが悲しいかな現実です。

やったらやられる、

かならず報いがかえってくる

この掟を徹底するしかいじめや侵略を防ぐ道は今の世の中ではないのです。

苛めも苛めたらその分だけ制裁を受けることを

子供たちに徹底して教えるべきです。

いじめを防ぐには法の裁きを与えることしか手はないはずです。

子供の心を傷つけるなどの綺麗事は

ビタミンCで癌を治すようなものです。

もしかしたら効くかもしれないが

殆どは効果なしです。

さて話を戻して核兵器廃絶の問題です。

核を使ったのは世界では、かの正義の味方、アメリカだけです。

日本だけではなくイラクでも小規模な核を搭載した爆弾は大量に使いました。

アメリカは何故、核を使い続けるのか?

何故、保有し続けるのか?

何故ロシアは使おうとしたのか?

それは核の使用に対しての制裁や仕返しを受けていないからです。

基本的に核を使ってはまずい、大変なことになるとの

認識を持っていないからです。

これは全て唯一の被爆国、日本に責任があります。

あれほど凄惨な大量殺人を犯した、

おまけに一般市民を殺戮したアメリカの広島、長崎の核使用に対して

何らの抗議や仕返し、賠償請求してないからです。

むしろアメリカの理屈を全て受け入れて有り難がっているくらいです。

アメリカの犯した罪は、

ドイツのユダヤ人のホロコーストと同等もしくはそれ以上の

重い戦争犯罪です。

一般市民を対象にした殺戮は完全なる交際法違反です。

一瞬にして数万人の命を奪った人類始まって以来の大犯罪です。

日本政府は抗議の声さえ上げていません。

市民運動の核兵器廃絶の綺麗事では何も事態は進展しません。

残された手立てはアメリカにアメリカ国民にあらゆるメデイアを使って

広島長崎の現実を知らしめなくてはなりません。

けっして原爆投下で戦争が早く終わった

などと言う詭弁を許してはならないのです。

現実的には既に死に体の日本に対して原爆の威力を試しただけです。

もはや仕返しをする可能性のない、力ののない日本に試したのです。

トルーマン大統領はヒットラーと同じ殺人悪魔として

歴史にその名を刻んだのです。

それは紛れもない事実です。

トルーマンのアメリカの人類に犯した罪は余りにも重いのです。

日本もアメリカもその事実をまるでなかったようにしています。

 

日本は確かに侵略という過去の大きな過ちを犯し、

アジア諸国に多くの犠牲をしいました。

その罪はぬぐっても拭いきれないものがあり

真摯に反省し償うべきです。

そして今のこの世界ではアメリカとしっかり手を結んでいかなくては

国の平和は現実的に保てないでしょう。

しかし、原爆投下の罪を訴追することととそれは別の次元の話です。

自らの罪は認め償うこと同時に相手の犯した罪を追求し、

償いを求めなくては決して平和はやってきません。

人は懲りない限り同じ過ちを永遠に犯し続けます。

われわれが行うべきは

平和的な核兵器廃絶を訴えることは勿論ですが、

アメリカ国民に本当の広島長崎の悲劇を嫌がらせのように見せつけて

そう韓国がおこなった慰安婦問題のように

賠償請求をしっかり行うことであるはずです。

これまでアメリカに痛い目に合わせたのは

真珠湾での日本とオサンマビンラデインだけかもしれません。

両者ともその後こっぴどくアメリカにやられてしまいました。

暴力ではなく精神的に人道的にアメリカに痛い目に合わせて

やるのです。

それにはあらゆるメデアは駆使した広報と

賠償訴訟しかないはずです。