日増しに日の出がはやまっています。
暖かくなってきたのに合せて早起き散歩を復活させました。
桜並木の川沿いと運動公園を約40分くらい掛けて速足で巡ります。
今は6時少し前に太陽が昇ってきます。
ご来光を拝むのは実に心身ともに清々しい思いになります。
早起きで出くわすのは
年寄りのラジオ体操と犬の散歩者、そして健康お宅ばかりですが、
様々な小鳥たちにも会えるのは一つの楽しみでもあります。
一つの発見は東京にも多くの種類の鳥たちが暮らしていることです。
最近カラスが減って小鳥が増えたことは実感します。
これは石原元都知事の隠れた功績であることは認めなくてはなりません。
小鳥たちは極めて自由です。
何故なら彼らの食料はいたるところにあり、
日々生活に困ることがないからです。
何を食べているのかよくわからないのですが、
グラウンドでは1年中、地面をついばんでいます。
たぶん、草の芽や種などを食しているのでしょうが、
贅沢を言わなければ食料には困らないようです。
今、食に窮しているのは、かのカラスたちではないでしょうか?
一時期カラスたちは
人間たちの残した美味で高カロリーの食事を楽しんでいました。
それが最近ではゴミの管理が厳しくなって、
なかなかご馳走に預かれません。
東京からカラスが激減したのはこの放置ゴミの減少にも一因があるようです。
家畜化したカラスはもはや野生の生命力を失ったのかもしれません。
野生の小鳥たちに庭でよく餌をやる人がいますが、
長期的に見れば小鳥たちを虐待していることになるのかもしれません。
朝の散歩は自由な鳥たちのに生き生きと暮らす姿に
接することが何よりの楽しみです。
そしてここ1週間ほど鶯の声をよく聞くようになります。
鶯の鳴き声は春を告げる代名詞です。
足を止めその声に聞き惚れる風流は
日本人であることを実感する瞬間でもあります。
ウグイスは実に臆病な動物のようです。
声はすれどもその姿はなかなか見つけられません。
常緑樹のこんもり葉の茂った樹間のなかで
単独で一生懸命さえずっているだけです。
お決まりの梅の木に鶯の姿はよほどのことがないと拝めません。
それでも今朝は3羽の鶯の影に遭遇することが出来ました。
こんなことは初めてなのですが、
そのうちの2羽は実に泣き声が綺麗ではありませんでした。
どうやら昨春生まれた若者のようです。
御多分に漏れず鶯はメスをおびき寄せうる為に必死で鳴いているのでしょうが、
若鳥はその求愛のさえずりが実に下手くそです。
とても日本人が求める鶯の旋律ではありません。
これは実に当然といえば当然です。
まだまだ求愛やセックスは初心者なのですから。
美しいこれこそ鶯と言う鳴き方はまだまだ出来るまで時間がかかるようです。
メスも人間も聞き惚れるような鳴き方が出来た時に
漸く恋も実るのでしょう。
これもまた人間も同じかな??
と思わず考えました。
自分が若かった時も鶯の若鳥と一緒だった??
女性の扱いも愛の言葉も
勿論、セックスなどはお粗末そのものだったのかもしれません。
20前後に付き合った女たちを脳裏に浮かべながら
少し恥じてしまいました。
その頃は体中に自信をみなぎらせて、
セックスでは性欲発散するために
一生懸命ピストン運動していただけに違いありません。
それはきっと女性とっては気持ちよくも何ともなかったのかもしれません。
すみません、そしてありがとうございました。
若い頃に相手してくれた女性たち!
春が来ました。
また今年も恋の季節がやってきましたよ。