昨日今日とテレビ新聞ネットとJR東海が起こした認知症訴訟の
最高裁の判決が話題になっています。
これまで余り内容を詳しく知らなかったのですが、
知るにつれて次第に腹だたしさを覚えてきました。
許せないのはJR東海と一審二審の判決を下した裁判官達です。
そもそもJR東海が提訴したこと自体が許せません。
認知症の人たちの問題は今や超高齢化社会を向かえた日本が国家的にかかえる
最大の問題です。
それぞれ国民が誰しも身近に感じている苦しみの一つです。
その日本の人々が必死に対処して堪えている苦悩を
JR東海は1個人の問題として損害賠償の告訴をしたのです。
少しでもかかった費用は回収すると言う一企業の浅ましい打算からです。
言うまでもなくJR東海は公共の交通を担っている
大きな使命をもった企業です。
少し前まで国鉄という日本の国民の所有する企業でした。
事業本質は日本の国土を活用して
日本国民をお客様として収益をあげています。
言うならば日本国民が最大のお客様でありそのおかげで生きている
公益性の高い会社です。
そんな会社が少し損失を出した位で1国民を提訴して
遺族を更なる苦難を負わせる行動はどのような発想から来ているのでしょうか?
これからこのような認知症者の事故問題は頻繁に起こるはずです。
それを全て認知症家族に賠償を請求してゆくつもいだったのでしょう?
信じられないような発想です。
そこには国民に対する感謝や愛情、思いやりがこれぽっちも感じられません。
組織の担当や経営者は自分たちには非がなく責任は負わない、
悪いのはその家族であると言う論法です。
しかしこのような事態は予測されるべき事故であり
JR東海は何らの対策を講じてないなかで訴訟です。
JR東海には91歳の認知症患者をはねて死亡させた責任はないのでしょうか?
アメリカなら逆に訴えられるような内容ではないでしょうか?
JRの訴訟はすべて官僚的で事務的で人としての思いやりや情けが
欠如した冷血な許し難い暴挙です。
この裁判でどれだけ遺族が心を痛め涙したことか同情に耐えません。
JR東海はその辺の民間企業ではないのです。
国民によって許されて国民が支えて成り立っている企業です。
その国民を罪人に仕立てるような発想はどこから来るのでしょうか?
国民を守り、国民に尽くすことが使命ではないのではないでしょうか?
このような事故で生じる費用は鉄道を運営するうえでの
必要経費ではないでしょうか?
解決策などそこにありません。
みんなで負担するしかないのです。
それを遺族に払わせようとする最低の企業理念をもった会社としか
いいようがありません。
皮肉なことに
JR東海はこの判決によって痴呆症老人の事故の未然防止を
強く求められることになってゆく気配です。
世間もJR東海の行動に対してに対しては憤りを感じています。
お前らには責任はないのか!?
子供でもハンデーキャップ者も痴呆症の人たちも世の中に存在することは
否定しようがないのです。
今回の事件は鉄道会社全体にこのような事故の未然防止の
義務が生じたはずです。
多分今となってはJR東海は目先のお金に欲をかいて
言ってみれば浅はかな行動をとってしまった思っていることでしょう。
多分鉄道の業界の経営者会議では非難されることでしょう。
藪蛇とはまさにこのことです。
そして加えて許せないのが
一審2審でJR東海のいい分を認めた裁判官たちです。
裁判官とは一般的な常識にかける阿呆な存在であることを
国民に露呈しました。
遺族の献身的な介護のどこを見て賠償を命じたのでしょうか?
2つの判決では弱者を挫くが裁判所というイメージしか抱けません。
多数の冤罪事件も非常識な裁判官の裁定に大きな要因があるのも事実です。
こんな連中が日本の司法を担っている現実を私たちはしっかり認識しなくては
なりません。
裁判官の頭にあることは出世しかないと言います。
如何に体制よりの判決が出せるかが出世の条件とか・・・。
今回の最高裁の決定はマスコミや介護関係者は絶賛しています。
しかし、そもそもかかる裁判を起こすこと自体をもっと非難すべきであり、
その言い分を一時でも認めてしまった司法は厳しくチェックされるべきです。
こんな裁判、判決はそもそもあるべきではなかったのです。
それが日本国という本来あるべき共同体意識ではないでしょうか?
JR東海、そして一審二審の裁判官に怒り心頭の2日間です。