イルカの捕獲問題が大きく取り上げられています。
今後水族館でイルカのパフォーマンスが見られなくなるのでは
と大騒ぎです。
イルカの捕獲の追い込み漁はそもそも一つの漁法であり、
文化であると和歌山県の太地町の人たちは怒ってます。
当地のイルカの漁業が世界的な非難を浴びて
いろいろとややこしくなっていますが、
キリスト教徒の理屈は確かにわけの分からいことも多く、
かなりの無理筋を平気で通してきます。
ウシは殺して食べてもいいが、
クジラは駄目とはどこら来る理屈か理解に苦しみますが、
これも神との契約によるものだそうです。
キリスト教には殺して食べて動物が
神との契約で存在しているそうです。
イルカは生物学的にはクジラと同じで
大きさによって分類されているだけでなので
クジラ擁護の彼らにはイルカを食べたり捕獲したりすることが
許せないらしいのですが、
それでも理解できません。
その理屈が。
多分今回の残酷な捕獲だとする認定は
シーシェパードなどの団体の裏工作によるものなのでしょう。
さてクジラを食べていい悪いの論争以前に
そもそもイルカなどの動物を閉じ込めて
無理やり芸を覚え込ませて
人間の慰みものにしていること自体が
残酷で非人間的ではなのではないかと思うのですが。
我々は子供の情緒教育だと称して
この手の類のことを動物園などで
沢山の生き物に対して行っています。
罪もない生き物を強制的に拉致してきて
一体子供に何を教えようとしているのでしょうか、
そもそもそれが問題だと思うのですが。
動物園や水族館は現在、中国などの新興国で
毎年急増しています。
それによって今や動物の値段が上がって
日本の動物園も思ったような動物が手に入れられないそうです。
中国、インド、インドネシアなどの大人口の国が
発展してきています。
同じように動物園や水族館を作ってきています。
彼らが動物をどんどん檻に囲い込んでくると
近い将来、自然界の動物は見られなくなるとの予測もされています。
特に問題は中国です。
中国は動物を見るだけではなく
その体の部位を漢方や装飾品として珍重しています。
お金をもった中国人が象牙やサイの角を買いあさっていて
お金の欲しいアフリカ人は大量の密猟を行っています。
野生の象やサイ、ウミガメなどは10年で絶滅すると言われています。
今すぐに世界各国が野生の動物の捕獲や殺戮は
止めなければ取り返しのつかない状況になることは明白です。
装飾品や漢方の利用と同じように
動物園や水族館などの単なる人間の娯楽のための
仕組みは根本的に見直すべきです。
動物観察は自然の状態だけで行うことを原則にすべきです。
イルカを見ているといつも思います、
なんてお人好しなのだろうかと。
一生懸命芸を披露して人間に愛きょうを振りまいています。
こんなにひどい目に合っているのに・・・。
そもそも昔のイルカのテレビドラマの
「フリッパー」
からこのイルカの受難が始まったのかもしれません。
あれ以来、人はイルカのお人好しに付けんでいます。
特に日本では一番顕著かもしれません。